ここはどこ?今は何年何月?そして私は誰?
認知症の本を読んでいると、たびたび出てくるのが「見当識」(けんとうしき)と言う言葉だ。
見当識とは、簡単に言うと、今日が何年何月何日で、自分が今いる場所がどこかという「現状把握力」のことだ。
今日の日付は怪しくても、今どこにいるか分からないなんて…とは思うのだが、これが分からなくなる。
見当識障害とか、失見当識と呼ばれ、記憶障害と共に認知症のメジャーな症状だ。
見当識障害の例
日付に関しては- 時刻をたびたび間違えるようになる
- 何日なのかか分からなくなる
- 何月なのかが分からなくなる
- 今の季節も分からなくなる
場所に関しては、
- たまに行く場所が分からなくなる。
- いつもよく行く場所が分からなくなり、迷子になる。
- 住み慣れた自宅の場所が分からなくなり、帰ってこれなくなる。
- 家の中のトイレの場所が分からなくなる
人に関しては、
- たまに合う人が分からなくなる。
- よく合う人が分からなくなる。
- 家族を別の人と間違えることが多くなる。
- 成長した自分の子供がわからなくなる。
なぜ家族が分からなくなるのか
見当識障害がある患者の場合、近年の記憶がなくなっていて、古い記憶しか残っていないらしい。
そのため、昔の職場に出勤してみたり、昔、住んでいた家に帰ろうとして、今の家から出て行こうとする。
退職したり、引っ越したという記憶が消えて残っていないので、こういったことが起こるのだとか。
また、人の顔が分からなくなるのも、最近の記憶が消えて行ってしまうので、昔の家族のイメージしかないせいらしい。
だから現在の家族の顔を見ても、それが身内だと分からず、「この人、誰だろう?」と思うらしい。
孫を見て、子供と錯覚するのも、自分の子供が小さかったときの記憶しかないのでそう思うって事だな。
さらに日付や時刻、朝か夜か、季節などが分からなくなるのも、昨日以前の記憶がなくて、真っ白な状態で目覚めるかららしい。
健常者でも、疲れ果てて長時間寝ると、起きたときに「今何時なんだろう?」と思うことはあるだろう。
こういう場合、丸1日以上も寝てしまい、起きたら「今日は何日?」となったりする。
それが何年分も記憶を失ってるわけだから、「今いったい、何年何月何日?」と言う風になってしまうのも当然か。
そこでたまたま何か季節を連想させるようなモノが目に入ってしまうと、その季節だと思い込んでしまうわけだ。
一種の記憶喪失のようなモノだが、残念ながら、何らかのキッカケがあっても、失われた記憶はよみがえらない。
壊れた脳細胞が復活しても、失われた記憶は戻ってこないからだ。